相米慎二監督の「夏の庭」、井戸の中にすべてがすっぽりと納まる

  • 2016.02.13 Saturday
  • 23:07




相米慎二監督の「夏の庭」は、現代邦画の水準を楽々とクリアした美しい作品ですが、各方面で聞かれる最高傑作との評価は当たらないと思います。テーマ自体は重いのですが、前作の「お引越し」のあまりにも鮮烈な再生のイメージに比べると、やや安直な印象を受けます。

「お引越し」の火や水は、何かを象徴するというよりも、意味付け以前の剥き出しの自然力そのものでした。それに対して「夏の庭」の花や蝶は、分かりやすいお手軽な象徴になっています。

相米慎二監督も認めているように、井戸の中にすべてがすっぽりと納まってしまいました。かつての相米映画は、悪ふざけと紙一重の、何を意味しているか分からない、ドキリとするブキミさがありました。その後、まとまりよく映像も深みを増していますが、閉じているように感じます。

少年の夏休みといえば「ションベンライダー」が、連想されます。少年の冒険を描いた、みずみずしくて粗暴な作品です。私はこちらの無茶苦茶さが、好きです。



デ・パロマ監督の「カリートの道」、懐かしいギャング映画

  • 2016.02.13 Saturday
  • 22:30




デ・パロマ監督の「カリートの道」(1993。アメリカ映画)は、懐かしいギャング映画です。1970年代のニューヨークが舞台。麻薬王だったカリートは、30年の刑期を終えて外に出、足を洗ってバハマでレンタカー屋を営もうと決意します。

しかし、カリートは仁義や友情を重んじる古いタイプの人間なので、次第に麻薬に絡むいざこざに巻き込まれ、最後には殺されます。グランドセントラル駅構内のエスカレーターでの銃撃戦は圧巻です。突出した名作というわけではありませんが、職人芸で飽きさせません。

デ・パロマは、かつては異端的な監督でした。しかし、すっかり巨匠になりました。ギャング映画の伝統をぶち壊したタランテーノ監督の「レザ・ボア・ドッグス」とは対照的に、伝統に回帰したとも取れます。



グレッグ・アラキ監督「リビング・エンド」、パトリシア・シエロー監督「傷ついた男」

  • 2016.02.13 Saturday
  • 21:41




アメリカ・インデペンデント・フィルムの鬼才グレッグ・アラキ監督の「リビング・エンド」(1992年)は、いかにも1990年代的な作品です。エイズ・キャリアの同性愛者2人の逃避行。細部に偏在する死のイメージと映像と絡み合う破壊的な音楽。ゴダールの「気違いピエロ」を常に意識しながら、ラストでピストル自殺を思い止まって生き残るという選択が、極めて今日的だと感じました。

ゲイやレズビアンの監督によって製作された映画は「クィーア・フイルム」と呼ばれています。自らの在り方を肯定した上で、現実の困難を引き受ける力強さは、異性愛、同性愛を問わず、貴重です。

1983年に製作された「傷ついた男」(パトリシア・シエロー監督、エルヴィ・ギベール脚本)が、公開されました。ゲイを巡る状況が大きく変わってしまったことを、あらためて実感させられました。エイズの影がありません。「リビング・エンド」と対照的です。ジャン・ユーグ・アングラードが、この映画で脚光を浴びました。



映画「ゴダ−ルの新ドイツ零年」と「時の翼にのって」

  • 2016.02.13 Saturday
  • 20:07




「ゴダ−ルの新ドイツ零年」(1991年)。ベルリンの壁崩壊後の欧米の混乱時の、ゴダ−ル監督の確固とした姿勢は見事です。ヘ−ゲルの「哲学史」を中心に、おびただしい数の音楽、絵画、写真、文学を引用することで、多面的に現状を見据えていました。

「歴史の終焉」が叫ばれていた当時の状況を、まさに歴史の中で相対化してみせました。しかも、悲愁に満ちながらも凛した映像の美しさは揺るぎません。その凝縮された孤独な映像を通じて、ゴダ−ル自身の孤独にも触れたように思います。わずか62分という長さの中で、軽やかさ、深さ、静けさが深く調和しています。

ゴダ−ルに比べ、ヴィム・ウェンダ−ス監督の「時の翼にのって」には、現状への狼狽ぶりがうかがえます。現代の混乱を描いているのではなくて、どうみても映画自体が混乱しています。それは「夢の崖までも」の前向きの失敗とは別のものです。前半には、ある切実さが感じられたましが、後半は安易な展開で結末も釈然としません。



ビレ・アウグスト監督「愛と精霊の家」、ベルトルッチ監督「リトル・ブッタ」

  • 2016.02.13 Saturday
  • 19:20




イザベル・アジェンデ「精霊たちの家」を原作とした「愛と精霊の家」(ビレ・アウグスト監督)は、予想以上に手応えがありました。スケ−ルの大きなスト−リ−をうまくまとめ、映像も冴えわたっています。

ただ、激動の20世紀を生き抜いた女性3代の物語ですから、2時間19分という時間はあまりにも短い。テンポが早すぎて「印象が散漫」「余韻がない 」「急ぎすぎ」という批評が目立ちました。しかし、失敗作とはいえないと思います。

ベルトルッチ監督の「リトル・ブッタ」は、子供だましかと思っていましたが、極めて具体的な説得力がありました。映像の力です。

一人のチベット僧が女性、西洋人など3人に転生するという着想も、微妙なズレを孕んだ輪廻転生譚として興味深いです。これまでのベルトルッチは歴史のなかでの人間の葛藤を描きつづけてきました。この映画は、葛藤なき静けさが支配しています。



映画「女ざかり」「屋根裏の散歩者」「押絵と旅する男」

  • 2016.02.13 Saturday
  • 13:23




大林宣彦監督の「女ざかり」は、丸谷才一の予定調和的な小説を、どう思い切って再構築するのかと思っていましたが、文芸大作の枠を越えることはできませんでした。おびただしい断片化の試みも、中途半端に終わっています。原作の哲学者の役を動物学者にしてしまったのは、疑問でした。藤谷美紀の生々しい内臓幻想は大林的です。田丸夫人役の松坂慶子の幽玄さも拾いものでした。

「屋根裏の散歩者」(実相寺昭雄監督)と「押絵と旅する男」(川島透監督)の公開は収穫でした。実相寺の作品は、確かにうまいのですが、乱歩的な屈折が弱い。どこかシャイで観念的な匂いが強いです。

その点、田中登監督の「江戸川乱歩猟奇館−屋 根裏の散歩者」の方が、乱歩的な質感をより表現していたように思います。見事に原作を再構築し、独自の世界を切り開いていました。大正時代の家並みをはじめ、映像の凝り方も並ではありません。鍵となる押絵の女性の美しさも際立っていました。



デレク・ジャ−マン追悼上映会1994年in札幌

  • 2016.02.13 Saturday
  • 12:36




1994年2月19日に死去したデレク・ジャ−マンの追悼上映会が札幌で行われ、若い人たちを中心に超満員となりました。死の直前のインタビュ−映画「記憶の彼方へ」は、淡々と過去の作品について話すデレクを静かに映し続けました。死を覚悟しながら、最後までユ−モアを失わないデレクの姿が胸に迫りました。

詩的で 耽美的な映像と暴力的でノイズに満ちたパンク的な映像が巧みに融合したデレクの作品たち。晩年にはコメディ・タッチも目立ちました。同性愛者であることを宣言し、晩年はエイズに感染していることも明らかにしながら 差別と闘いつづけました。
「ヴィトゲンシュタイン」は、同性愛者で若くして単独で死んでいったヴィトゲンシュタインと自分を重ねています。冷たく鋭利なヴィトゲンシュタインの哲学の核心を紹介しながら、全てを独自のユ−モアで包んでいます。 

遺作となった「ブル−」は、青一色のスクリ−ンに音楽と朗読が重なります。映像は一切ないのですが、音楽と朗読によって、スクリ−ンが雄弁に語りはじめます。自らのエイズ体験を、ブル−に託したデレクの思いが伝わってきます。死を前にして自らを突き放す姿は、ただ者ではありません。こんなに心を動かされる映画は久しぶりです。希有の体験でした。

デレク・ジャ−マンはインタビュ−の中で「ブル−が遺作になれば幸運だ」と語っていました。52歳という短い人生でしたが、見事な生涯といっていいでしょう。



ジェーン・カンピオン監督の長編第一作「スウィーティー」、現実の細部を美化せずに直視

  • 2016.02.12 Friday
  • 23:26




ジェーン・カンピオン監督の長編第一作「スウィーティー」(1989年)を劇場で観ることができました。危なくてコミカルで悲しい物語です。

この作品で「女デビッド・リンチ」と呼ばれたそうですが、全然質感が違います。リンチは、本当に得体の知れない感覚を持っていますが、カンピオンは現実の細部を美化せずに直視しているだけです。最後まで自分を、世界を把握しています。危ない領域ぎりぎりまでは行きますが、最後は優しく見つめています。

彼女の作品は、男が描けていないという批判があります。「ピアノ・レッスン」で特に目立ちました。しかし、従来の男性監督が女性を描けていたか、と問われればハッと気づくはずです。しょせんは男性という小さな節穴から女性や世界を観ていたということを。

カンピオン監督の作品を観ていると、痛切にそう思い知らされます。彼女は、堂々と女性という節穴から観た男性像を打ち出しているからです。



ヒッチコック的展開の映画「キカ」、アルモドバル作品で最も下品で悪趣味

  • 2016.02.12 Friday
  • 22:29




ペドロ・アルモドバル監督の「キカ」(1993年)は、これまでの作品の中で、最も下品で悪趣味です。しかし、本筋の物語自体はヒッチコック的な展開です。

本筋はあまり気にせずに、登場人物の性格とファッションを楽しみました。関係を喪失した人間たちの関係という根底に流れるテーマさえ、付け足しのようなものです。一人ひとりの切実でしかも滑稽な生きざまを楽しんだ方がいいです。

脳天気な性格で全体が暗くなるのを救っている主人公のキカよりも、テレビ番組「今日の最悪事件」を担当している女性リポーター・アンドレアの迫力がすごいです。頬傷からファッションまで、キッチュの極みです。

血が滴ったようなドレスや動く金物屋のような取材服という衣装を担当したジャン・ポール・ゴルチエは「コックと泥棒、その妻と愛人」の時も感じましたけれど、監督の個性をつかむのが実にうまいです。

常連のロッシ・デ・パロマは、相変わらずイイ味出しています。不幸な人生を真剣に生きている姿が笑えるというキャラクターは貴重です。しかしパンフレットで『ピカソの絵を思わせる特異な風貌』なんて書かれてしまうのは可哀想です。



「毎日が夏休み」「800 TWO LAP RUNNERS」「トカレフ」

  • 2016.02.12 Friday
  • 22:05




金子修介監督の「毎日が夏休み」(1994年)は、金子修介監督の作品です。大島弓子の少女漫画の実写化です。出社拒否ー失業、登校拒否と重いテーマですが 展開が実にすがすがしい。会話のテンポも見事です。

閉塞的でしかも内部解体している日本の家族の中で、今後の希望を提示していると思います。主人公のスギナ役の佐伯日菜子が、例えようもなくさわやかです。これがデビュー作品になります。

廣木隆一監督の「800 TWO LAP RUNNERS」(1994年)は、川島誠の小説の映画化です。印象的。同性愛あり近親愛ありの青春ストーリィを独自のセンスで描きました。エロティックで頽廃美あふれる「魔王街」「夢魔」とはまた別の魅力がありました。

阪本順治監督の「トカレフ」(1994年)は、相変わらずうまさは見せるものの、トリックのアイデアに頼りすぎるきらいがありました。これまでの作品が順調だっただけに惜しいです。不思議なムードは、良かったのですが。



calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< November 2019 >>

selected entries

categories

archives

recent comment

recommend

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM