ミケランジェロは大理石の周りを囲って極秘裏に作業

  • 2016.09.09 Friday
  • 07:55



ミケランジェロは好奇の視線にさらされながらダビデ像の作業することを嫌い、土台と大理石の周りを仕切りで囲って極秘裏に作業を続けました。この作品のために描かれた素描やスケッチもほとんどがミケランジェロ自身の手によって焼却処分されました。


フィレンツェ市長がダビデ像制作の視察に来たときには、ミケランジェロは作業台の一番上に登り、大理石に打ち付けずに槌の背だけを叩いて音を出し、手の中に握った大理石の粉末を市長の鼻先に散らすことで作業をしている振りをしてごまかしました。


フィレンツェ市長が「いま自分はこの像に命が吹き込まれる瞬間を目の当たりにしたのだな」と感動しながら帰って行くのを見て、ミケランジェロがほくそえんでいたというエピソードをジョルジョ・ヴァザーリが書き残しています。






ミケランジェロは1501年9月9日からダビデ像を制作

  • 2016.09.09 Friday
  • 07:54



カッラーラの採石場から運ばれた大理石の塊は、大聖堂の事業監督所に25年ものあいだ吹きさらしのままでした。1500年に作成された大聖堂事業監督所の在庫目録には「荒く輪郭を描かれたまま仰向けの状態で放置された『ダビデ』と呼ばれる大理石像」と表現されています。


1501年に書かれた文書では、造営局がこの巨大な大理石の塊を作品として完成させることのできる芸術家を探す決意をしたことが示されています。造営局は、招いた芸術家に『巨人像』を調べて意見を述べてもらうためにこれを立たせるよう指示を出しました。


レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ何人かの芸術家が打診されましたが、造営局は26歳のミケランジェロに委託することを決定。1501年8月16日、ミケランジェロはこの困難な仕事を引き受ける契約を正式に交わし、9月9日から約3年にわたる制作の第一歩を踏み出しました。






あなたは、ミケランジェロの「ダビデ像」が好きですか?

  • 2016.09.09 Friday
  • 07:53



Twitterで「あなたは、ミケランジェロの「ダビデ像」が好きですか?」と質問し、817人が回答してくれました。結果は、とても好き19%、まあ好き46%、あまり好きではない24%、嫌い11%でした。


ダビデ像(David di Michelangelo)は、ミケランジェロが1501年から制作を開始し、1504年9月8日に公開した彫刻作品です。フィレンツェのアカデミア美術館に収蔵されています。


ピエタと並ぶミケランジェロの代表作であるばかりでなく、ルネサンス期を通じて最も卓越した作品の一つです。人間の力強さや美しさの象徴ともみなされる作品で、芸術の歴史における最も有名な作品のひとつです。


ダビデとは、旧約聖書においてイスラエル王国の二代目の統治者。大理石で身の丈5.17メートルにかたどられたダビデ像は、ダビデが巨人ゴリアテとの戦いに臨み、岩石を投げつけようと狙いを定めている場面を表現しています。


ダビデ像は、元来はフィレンツェ市庁舎の置かれたヴェッキオ宮殿の前に飾られていました。のちに都市国家フィレンツェ共和国が周囲を取り囲む強大な対抗勢力に脅かされるようになった時には、巨人に立ち向かうこの像こそフィレンツェを象徴するものだと解釈されるようになりました。






ガウディは自然の中に最高の形があると信じていた

  • 2016.06.08 Wednesday
  • 10:03


 

 

 

 

ガウディの建築は、曲線と細部の装飾を多用した、生物的な建築を得意とし、その独創的なデザインは多くの建築家や芸術家に影響を与えました。その設計手法は独自の構造力学的合理性と物語性に満ちた装飾の二つの側面より成立しています。

 

 


ガウディの装飾は形式的なものに留まらず、植物・動物・怪物・人間などをリアルに表現しました。「美しい形は構造的に安定している。構造は自然から学ばなければならない」と、ガウディは自然の中に最高の形があると信じていました。バルセロナ郊外の村で過ごし、小さな生き物たちと触れ合った体験からきています。

 
ガウディの自然への賛美がもっとも顕著に表れた作品が、コロニア・グエル教会地下聖堂のガウディ設計部分です。傾斜した柱や壁、荒削りの石、更に光と影の目くるめく色彩が作り出す洞窟のような空間になっています。この柱と壁の傾斜を設計するのに数字や方程式を一切使わず10年の歳月をかけて実験しました。


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グエルは、40年あまりパトロンとしてガウディを支援

  • 2016.06.08 Wednesday
  • 10:01


 

 

 

 

ガウディは、パリ万国博覧会に出展するクメーリャ手袋店のためにショーケースをデザインしました。この作品を通じてガウディの才能を見初めたのが、繊維会社を経営する富豪エウセビオ・グエル(エウゼビ・グエイ)でした。

 

 


 
グエルは、40年あまりの間パトロンとしてガウディを支援し、グエル邸、コロニア・グエル教会地下聖堂、グエル公園などの設計を依頼しました。1883年にはサグラダ・ファミリアの専任建築家に推薦されます。

1914年以降、彼は宗教関連以外の依頼を断り、サグラダ・ファミリアの建設に全精力を注ぎました。しかし、親族や友人の相次ぐ死によるガウディの仕事の停滞とバルセロナ市が財政危機に見舞われたことによってサグラダ・ファミリアの建設は進まず、1918年、グエルが死去しました。


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ガウディは1873年から1877年の間、バルセロナで建築を学ぶ

  • 2016.06.08 Wednesday
  • 10:00


 

 

 

 

1873年から1877年の間、ガウディはバルセロナで建築を学びました。学校では、歴史や経済、美学、哲学などにも関心を示したほか、ヴィオレ・ル・デュクの建築事典を友人から借りて熱心に読んでいたとも伝えられます。学業と並行していくつかの建築設計事務所で働きました。

 

 

ガウディの処女作は、未完のものも含めると1867年ごろの産業コロニアだといわれています。この仕事でマタロ協同組合の教師ペピタと知り合いました。これが初恋でした。しかし、成婚に至らず、その後一生独身でした。1878年に建築士の資格を取得しています。
バルセロナ建築学校校長で建築家のアリアス・ルジェン(エリアス・ロジェント)は、ガウディについて「彼が狂人なのか天才なのかはわからない、時が明らかにするだろう」と言ったと伝えられています。


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