やなせたかしの『アンパンマン』が1969年初登場

  • 2017.02.06 Monday
  • 13:04


 

 

1969年にはやなせたかしの『アンパンマン』が初登場しました。ただしこのアンパンマンは後のものとは異なる作品であり、ヒーロー物へのアンチテーゼとして作られた大人向けの作品です。1973年、アンパンマンを子供向けに改作します。

 

 


1988年に、やなせたかしのテレビアニメ『それいけ!アンパンマン』の放映が日本テレビで開始されました。テレビ業界的にかなり不安視されており、スポンサーがつかなかったり、関東ローカルのみの放送などと逆境を余儀なくされました。
 
テレビアニメ『それいけ!アンパンマン』は、まもなく大人気番組となり、日本テレビ系列で拡大放映されました。またキャラクターグッズなども爆発的に売れ、やなせたかしは一躍売れっ子になりました。


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やなせたかしは、「困ったときのやなせさん」とも言われていた

  • 2017.02.06 Monday
  • 13:03



漫画家としての仕事が激減したやなせたかしでしたが、舞台美術制作や放送作家などその他の仕事のオファーが次々と舞い込むようになり、生活的に困窮することはありませんでした。業界内では「困ったときのやなせさん」とも言われていたといいます。

やなせたかしは1960年、永六輔作演出のミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の舞台美術を手掛けた際に、作曲家のいずみたくと知り合い、翌1961年に『手のひらを太陽に』を作詞。同曲は教科書に載るほどのスタンダードな曲となっています。

1969年、劇場アニメ『千夜一夜物語』制作の際に、エロチック路線を求めていた手塚治虫は、やなせたかしの漫画を気に入り美術監督に招きました。手塚はポケットマネーで、やなせが1967年に手掛けたラジオドラマ「やさしいライオン」をアニメ映画化しました。

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やなせたかしは、1953年3月三越を退職し、専業漫画家に

  • 2017.02.06 Monday
  • 13:02



やなせたかしは、1947年に上京し漫画家を志すようになりますが、東京での生活がまだ確立されていなかったために、兼業漫画家という道を選びました。三越に入社し、宣伝部でグラフィックデザイナーとして活動する傍ら、精力的に漫画を描き始めます。
やなせたかしは三越の社内報はもとより、新聞や雑誌でも作品を発表。当初は漫画家のグループ「独立漫画派」に入りましたが、まもなく「漫画集団」に移りました。三越時代の代表的な仕事に、包装紙「華ひらく」の「mitsukoshi」のレタリングがあります。

1953年3月に三越を退職し、専業漫画家となります。漫画で得る収入が三越の給料を三倍ほど上回ったことで独立を決意したといいます。1964年にNHKの『まんが学校』に講師としてレギュラー出演しました。大人漫画・ナンセンス漫画の復興に取り組みました。

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あなたは、やなせ・たかしの漫画が好きですか?

  • 2017.02.06 Monday
  • 13:00


 

 

Twitterで「あなたは、やなせ・たかしの漫画が好きですか?」と質問し、996人が回答してくれました。結果は、とても好き26%、まあ好き39%、好きではない09%、知らない26%でした。

 

 


やなせたかし(本名=柳瀬嵩、1919年2月6日-2013年10月13日)は、日本の漫画家、絵本作家、詩人です。『アンパンマン』の生みの親として知られています。

やなせたかしは、絵本作家・詩人としての活動が本格化する前までは頼まれた仕事はなんでもこなしたといいます。編集者、舞台美術家、演出家、司会者、コピーライター、作詞家、シナリオライターなど様々な活動を行っていました。


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