映画「Shallweダンス?」「眠れる美女」「勝手に死なせて!」

  • 2016.02.08 Monday
  • 16:45




「Shallweダンス?」(1996年、周防正行監督)は、娯楽作品としては超一流です。周防正行監督ほど、笑いのポイントをおさえている監督は、そうは多くありません。清水美砂の歌が見事でした。最初、清水美砂とは分かりませんでした。すごい配役です。ヒロインの草刈民代と監督の結婚も映画の延長なのでしょうか。出来過ぎです。

やや地味ですが、横山博人監督の「眠れる美女」(1995年)もなかなかの出来でした。川端康成の原作も相当に深いですが、横山博人監督は女・性を全面に押し出すことで、従来の狭いモラルを打ち倒した新しい地平を静かに、しかし確かに提示しています。男の老いという点でも、なかなか示唆に富んでいます。原田芳雄は、70代の不良長寿をあきれるほどかっこよく演じていました。

2015年12月28日のさっぽろ映画祭で上映された「勝手に死なせて!」(1995年、水谷俊之監督)は、、1995年邦画ベスト1になってもおかしくない傑作です。日本の深刻な現状を踏まえた上で、死をテーマにした超ドタバタコメディ。アルモドバルもびっくりです。



映画「ゴジラ対デストロイア」「幻の光」

  • 2016.02.08 Monday
  • 15:22




日本映画での「ゴジラシリーズ」の第22作「ゴジラ対デストロイア」(1995年、大河原孝夫監督)。平成vsシリーズの完結編です。1954年公開のシリーズ第1作「ゴジラ」(本多猪四郎監督)へのオマージュ色が濃い作品といえます。「ゴジラ死す」のキャッチコピー通り、ゴジラの最後は感無量です。

映画は、子供も楽しめるように作ってはいますが、第一作の「ゴジラ」と同じく、相当深刻なメッセージが込められています。ゴジラがメルト・ダウンし、東京は死の街になるかもしれないのですから。

「幻の光」(1995年)は、是枝裕和監督の劇場映画デビュー作です。江角マキコの映画デビュー作でもあります。原因不明の夫の自殺に傷付き、やがて自然の中で癒されていく過程を追う展開です。ヴェネツィア国際映画祭で金オゼッラ賞を受賞しました。

ゆっくりとした映像。しかしタルコフスキーのような強度を持っていないので、たびたび退屈します。またヒロインが 「私は夫の自殺の原因をずっと考えてきた」など、言葉にすべきでない事をしゃべり過ぎます。最後まで監督と呼吸が合いませんでした。



映画「ベイブ」「クルーレス」「エリザ」

  • 2016.02.08 Monday
  • 14:14




「ベイブ」(1995年、クリス・ヌーナン監督)は、いわゆる動物映画ですが、擬人化のテクニックに興味がありました。あまりの自然さに感心しました。物語は単純なハッピーエンドですが、憎めない作品です。

食べられる豚の立場に立って世界を眺めること。徹底するとかなり深刻な問題を孕んでいるのですが、映画は特権的に賢い豚の成功譚でハッピーエンドでした。

「クルーレス」(1995年)。エイミー・ヘッカリング監督は、10代の思春期の少年、少女たちを優しく、しかしシビアに見つめながら気持ち良くストーリーをまとめ上げました。

主人公シェール役のアリシア・シルヴァーストーンは、嫌味さがなくてとってもキュートです。いわばビバリーヒルズの上流階級の娘なんで、実際鼻持ちならないところもありますが、それが可愛らしく見えるというところが見事です。久しぶりにハチャメチャだった高校生時代を思い出しました。

「エリザ」( 1995年、フランス映画。ジャン・ベッケル監督)は、バネット・パラディの主演映画です。衝撃的な始まりから、引き込まれます場面転換が抜群にうまい。しかし母親を自殺に追い込んだ男を殺そうとして、逆に恋してしまうという、いかにもという展開が引っかかりました。ゲンズブールの歌詞に乗せられたラストも出来すぎの感じです。



映画「ストレンジ・デイズ」「ジュテーム・モア・ノン・プリュ」「メフィストの誘い」

  • 2016.02.08 Monday
  • 13:48




キャスリン・ビグロー監督の「ストレンジ・デイズ」(1995年)。ビグロー監督の天才的な映像センスは「ブルー・スチール」で証明されています。しかし脚本が作品をぶちこわしました。なんとも古臭いヒューマニズムと純愛の映画になってしまいました。他人の記憶をリアルに追体験できるデジタルディスクというアイデアが、全く生かされていません。ただ、ジュリエット・ルイスのハードロックには驚きました。彼女はあきれるほど芸達者です。演技派をかんじさせない本当の演技派です。

「ジュテーム・モア・ノン・プリュ」(1976年、セルジュ・ゲンズブール監督)は、ごみ捨て場から始まります。いかにも1970年代といった感じの作品です。70年代が切り開いた地平の広さと深さをあらためて再認識しました。ゲイ、ヘテロ、バイセクシャルの対立を描いた先駆的な作品です。

「メフィストの誘い」(1995年、マノエル・デ・オリベイラ監督)は、フランス映画の良き伝統を感じさせる作品です。ゲーテの「ファウスト」を下敷きに、修道院という閉鎖空間のなかで静かに官能が高まっていきます。シニカルでウイットに富む会話。男女の駆け引き。忘れかけていた味です。カトリーヌ・ドヌーブの悪女は惚れ惚れするほどの貫祿です。



映画「ザ・インターネット」「デスペラード」「デンジャラス・マインド 卒業の日まで」

  • 2016.02.08 Monday
  • 12:48




「ザ・インターネット」(1995年、アーウィン・ウィンクラー監督)は、コンピューター社会における独占の危険性とセキュリティの重要さを訴えた作品です。コンピューター・ウイルスを使った最後のどんでん返しは、流行るかもしれません。ただ、敵を倒すにはやはり消火器を振り回さなければならないのが、ハリウッド映画の辛いところです。

「デスペラード」(1995年、ロバート・ロドリゲス監督)は、ド派手なバイオレンス映画です。激しいが軽みのある映像。楽しませるセンスは認めます。恋人を殺された男の復讐劇ですが、追い詰めた相手が兄弟だったというオチは何とかならなかったのでしょうか。

いわゆる金八先生もの「デンジャラス・マインド 卒業の日まで」(1995年、ジョン・N・スミス監督)は、ボブ・ディランの詩で悪ガキたちの心をつかんだまでは良かったのですが、月並な作品でした。教師の奮闘を描いた作品は結末が難しいです。



映画「青いドレスの女」「キルトに綴る愛」「バスケットボール・ダイアリーズ」

  • 2016.02.08 Monday
  • 12:40




「青いドレスの女」(1995年、ジョナサン・デミ監督)は、前半やや間延びしていますが、後半に入り映像が緊張を増しました。市長選をめぐる政治の裏の世界を手堅くまとめました。予想外の展開はみせますが、観終わって物足りなさが残りました。

「キルトに綴る愛」(1995年、ジョセリン・ムーアハウス監督)は、不思議な映像です。メリハリのある色彩構成は心地よかった。それぞれのストーリーがバランス良く配置されています。作品自体がキルトです。ただ、カラスに導かれていく結末はやや安易です。老境映画としても楽しめますが、皆若いときがあまりに美しすぎて、それが不自然です。

「バスケットボール・ダイアリーズ」(1995年、スコット・カルバート監督)は、注目のレオナルド・ディカプリオ主演。親友が白血病で死に、麻薬に溺れていく青年を熱演しました。青春していて悪くありませんが、同性愛者の描き方には問題があると思います。



同性愛を描いた「渚のシンドバッド」と「君さえいれば 金枝玉葉」

  • 2016.02.08 Monday
  • 12:20




橋口亮輔監督の「渚のシンドバッド」(1995年)は、17才の高校生たちの切実で滑稽な日々を描いた作品です。前作「二十才の微熱」よりも自伝的な要素が強いように思います。そして、何かセラピー的な雰囲気を強く感じました。

「二十才の微熱」の暴力的なふっきれがなくなったのは残念です。同性愛者を包み込みたくなる視線を感じます。クライマックスの夜の海のシーンも、新しい青春映画の記念すべき一場面なのだけれど、妙に冷めてしまいます。

その点、香港映画の「君さえいれば 金枝玉葉」(1994年)は、同性愛を描きながら吹っ切れたコメディに仕上がっていました。監督のピーター・チャンは、橋口監督と同い年です。

深刻な状況を笑い飛ばす香港パワー。このバイタリティはすごいです。脚本も良くできています。レスリー・チャンの役者としての幅の広さを痛感しました。同性愛に悩む彼とアニタ・ユンの可愛らしさ、カリーナ・ラウの妖艶さが巧みに絡み合って映画を盛り上げていきます。性差を超えつつ、差異を認め会う関係。さりげなく新しい関係性を提示しています。



映画「セブン」、オープニング・クレジットに痺れる、カイル・クーパーとの衝撃的な出会い

  • 2016.02.08 Monday
  • 11:43




デビッド・フィンチャー監督「セブン」(1995年)。退職間近のベテラン刑事サマセットと若手刑事ミルズが猟奇連続殺人事件の捜査にあたる物語です。映画のオープニング・クレジットが始まった時、そのハイパー・パンクなセンスに痺れました。カイル・クーパーとの衝撃的な出会いでした。とんでもない傑作かもしれまい、という予感が身体を突き抜けました。

そして、どしゃぶりの雨が降り続けるくすんだ映像。フィンチャー監督は「エイリアン3」の時よりも、さらに独自の映像美を創りあげていました。フィンチャー監督は写真家のジョエル・ピーター・ウィットキンの作品を参考にしたと話しています。グロテスクを突き破った崇高美。たしかにウィットキンが基調になっています。その上で、計算された色彩がテーマを冴え渡っていました。

しかし、すべてを脚本が裏切ってしまいました。そもそも中世キリスト教的な七つの大罪は、入り口であって、映画の展開はそこから逸脱していくべきはずでした。あれだけ、凝った殺人を企画した犯人とは思えない、最後の計画の陳腐さ。犯人の意図が理解不能であってこそ、作品としてのインパクトが生まれたと思います。



ジム・ジャームッシュ監督が生と死が溶け合った西部劇の深層を描いた映画「デッドマン」

  • 2016.02.08 Monday
  • 10:39




ジム・ジャームッシュ監督の「デッドマン」(1995年)は、白黒の映像に、相当にブラックなユーモアを込めた作品です。前作「ナイト・オン・ザ・プラネット」の線を期待していた人は、驚いたと思います。「ナイト・オン・ザ・プラネット」は分かりやすくて、とても楽しめる映画でした。

「デッドマン」は、19世紀のアメリカの原像が開かれます。西部劇の深層を描いているので、理解しにくい面もあります。ウイリアム・ブレイクとネイティヴ・アメリカンの結び付きも、唐突な感じがありました。

ネイティヴ・アメリカン間の混血でイギリスにも居たことのあるノーボディという人物が、この作品を支えています。彼に誘われて、ジョニー・デップ演じるブレイクは、生と死が溶け合った深層の世界に入っていきます。

ニール・ヤングの魂に触れる音楽とジム・ジャームッシュの映像が共振しながら、不思議な世界に引き込んでいきます。相棒の殺し屋を射殺して食べてしまうシーンが、あまりにも淡々として自然なので、かえって背筋が寒くなりました。



映画「コピーキャット」、屋外恐怖症になった犯罪心理分析医役をシガニー・ウィーバーが熱演

  • 2016.02.08 Monday
  • 09:25




ジョン・アミエル監督の「コピーキャット」(1995年)は、脚本の勝利だね。アン・ビダーマンとデビッド・マドセンは、初めての脚本の映画化です。その脚本はすばらしいです。

過去の猟奇殺人事件を再現する犯人というアイデアに溺れずに、ストーリーを練り上げています。登場人物も良く描かれていました。犯人が次の殺人対象をモーフィングを使った電子メールのCGで知らせてくる場面は、実に巧みで効果的なシーンでした。

 連続殺人犯に襲われたショックで屋外恐怖症になった犯罪心理分析医の役を演じたシガニー・ウィーバーは、すごい迫力でした。極限的な恐怖にうちひしがれながらも、現実に立ち向かっていくヒロインをやらせたら、右に出る者はいません。「ピアノレッスン」で見事な存在感をみせた刑事役のホリー・ハンターですら、かすんでしまいました。



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