阿久悠『殺人狂時代ユリエ』で第2回横溝正史ミステリ大賞を受賞

  • 2017.02.07 Tuesday
  • 07:42


 

 

1977年、阿久悠は子供の歌を作りたいと「ぱくぱくポケット」というシリーズを手がけ、『おはよう!こどもショー』のコーナーでも歌われていました。「感動する話は長い、短いではない。3分の歌も2時間の映画も感動の密度は同じである 」との言葉を残しています。

 

 


1980年代に入りニューミュージックのアーテストが台頭し、彼等のつづった叙情よりも感性や実体験の詞が受けるようになり、さらに、後進の作詞家である松本隆や秋元康らが台頭すると、阿久悠の売り上げは苦戦を強いられるようになります。以降は小説執筆や演歌の作詞などに比重を移しました。


阿久悠は、直木賞候補となり映画化もされた『瀬戸内少年野球団』など小説を手がけ、1982年には『殺人狂時代ユリエ』で第2回横溝正史ミステリ大賞を受賞。1997年に刊行された短編小説集『恋文』、長編小説『ラヂオ』はその後ラジオドラマ化されました。

 





 

 

阿久悠の歌詞の処女作はザ・スパイダースの「モンキーダンス」

  • 2017.02.07 Tuesday
  • 07:41


 

 

阿久悠は、1959年に広告代理店・宣弘社へ入社し、コピーライター・CM制作を手がけながら、1964年から放送作家としても活動しました。1966年に宣弘社を退職し、放送作家、作詞家としての活動を本格化させます。

 

 


阿久悠は、音楽番組の台本を書いているとき、歌われる歌の歌詞を写しながら、作詞の勉強をしました。また番組の企画書を書かせたら日本一とも言われたほどでした。歌詞の処女作はザ・スパイダースのグループ・サウンズデビュー曲「フリフリ」のB面である「モンキーダンス」です。

 

阿久悠の本格デビューはザ・モップスの「朝まで待てない」。このタイトルの由来は、曲の締め切りが朝に迫っていたからだといいます。その後、作詞家として数々のヒット曲を送り出します。生涯、作詞した曲は5,000曲以上です。

 





 

 

あなたは、阿久悠の作詞した歌が好きですか?

  • 2017.02.07 Tuesday
  • 07:39


 

 

Twitterで「あなたは、阿久悠の作詞した歌が好きですか?」と質問し、703人が回答してくれました。結果は、とても好き16%、まあ好き22%、好きではない04%、知らない58%でした。

 

 


阿久悠(あく・ゆう、1937年2月7日-2007年8月1日)は、日本の放送作家、詩人、作詞家、小説家です。阿久悠のペンネームの由来は「悪友」から。本名は深田公之(ふかだ・ひろゆき)。


阿久悠は、日本テレビのオーディション番組 『スター誕生!』に番組企画・審査員としてかかわります。『スター誕生!』の特徴的な企画は各芸能プロダクションの担当者が目に付いた出場者に札を挙げるというものであったが、あのスタイルを考えたのは阿久自身です。

 





 

 

喜多郎は、国際環境アーチストとしての役割

  • 2017.02.04 Saturday
  • 08:07


 

 

2000年4月、世界環境会議において唯一国会議員のためのNGO組織より、喜多郎はグローブカウンシルの一員に迎えられ、国際環境アーチストとしての役割を担います。2000年7月、NHK開局75周年記念番組「四大文明」の音楽を手がけます。

 

 


2006年後半?2007年前半、喜多郎は中国の著名な映画監督 張芸謀(チャン・イーモウ)監督製作の、中国杭州西湖での水上舞台「印象西湖」の音楽を作曲担当しました。


2011年3月、喜多郎は"The Silk Road - East & West"と題したアジアツアーを敢行しました。タイ、香港、インドネシア、シンガポール、マレーシアを回りました。タイと香港での公演では、収益金の一部(香港公演では10万香港ドル)を東日本大震災へ寄付しました。

 





 

 

「喜多郎」は、長髪にしていた高校時代のニックネームから

  • 2017.02.04 Saturday
  • 08:06


 

 

「喜多郎」という名の由来は、長髪にしていた高校時代に、ニックネームで「キタロウ」(「ゲゲゲの鬼太郎」より)と呼ばれていたことから、「キタロウ」に別の漢字を当て「喜多郎」としたものです。

 

 


1970年代初め、『ファー・イースト・ファミリー・バンド』のメンバーとしてキーボードを担当していた喜多郎は、レコーディングに訪れたヨーロッパで、ドイツのシンセサイザー奏者クラウス・シュルツェと出会い、シンセサイザーに魅了されました。


1978年、喜多郎はソロとして活動を開始し、初のアルバム『天界』をリリース。1980年、NHK制作のドキュメンタリー番組『NHK特集 シルクロード』の音楽を担当し、そのテーマ曲は喜多郎の代表作となりました。

 





 

 

あなたは、喜多郎の曲が好きですか?

  • 2017.02.04 Saturday
  • 08:05


 

 

Twitterで「あなたは、喜多郎の曲が好きですか?」と質問し、560人が回答してくれました。結果は、とても好き08%、まあ好き20%、好きではない05%、知らない67%でした。

 

 


喜多郎(きたろう、1953年2月4日- )は、日本のキーボーディスト、作曲家です。本名は高橋正則(たかはし・まさのり)。愛知県豊橋市出身。自然環境からインスピレーションを取り入れた独自のクリエイティヴな作品は、世界でも高い評価を受けています。


喜多郎は1994年、米映画『天と地』(監督:オリバー・ストーン)でゴールデングローブ賞作曲賞受賞。2001年、米音楽界最高峰であるグラミー賞受賞しています。毎年夏には富士山の5合目太郎坊駐車場で、日没から夜明けまで無料イベント富士山讃歌を行っています。

 





 

 

ゲーテとメンデルスゾーンの出会い

  • 2017.02.03 Friday
  • 08:00


 

 

1821年に、ツェルターは同時代の友人で書簡をやり取りする間柄だった文豪ゲーテにメンデルスゾーンを紹介しました。メンデルスゾーンにいたく感銘を受けたゲーテは、ツェルターとの会話の中でモーツァルトとの比較を行っています。

 

 


メンデルスゾーンはその後何度かゲーテに招かれて会っており、ゲーテの詩の多くに曲をつけています。ゲーテに霊感を受けて作曲された作品には、序曲「静かな海と楽しい航海 Op.27」とカンタータ「最初のワルプルギスの夜 Op.60」があります。


1829年、メンデルスゾーンはバッハの「マタイ受難曲」を編曲、自らの指揮により蘇演を果たしました。演奏に際しては、管弦楽と合唱をベルリン・ジングアカデミーが務めました。演奏の成功は、ヨーロッパ中に広がるバッハ作品の復活につながる重要な事件でした。

 





 

 

メンデルスゾーンは、早熟の天才

  • 2017.02.03 Friday
  • 07:59


 

 

メンデルスゾーンは、早熟の天才で、一度見た楽譜、一度聴いた音楽を完璧に記憶する能力を有していたといいます。多数の言語を自在に操り、青年に成る頃には、ドイツ語のみならず、ラテン語、イタリア語、フランス語、英語までも話していました。

 

 


メンデルスゾーンは、作曲家としてもヴァイオリン協奏曲や「夏の夜の夢」、「フィンガルの洞窟」、無言歌集など今日でも広く知られる数々の楽曲を生み出しています。


ユダヤ人の家系であったメンデルスゾーン家は言われなき迫害を受けることが多く、それはキリスト教への改宗後もほとんど変わらりませんでした。そのような状況にも関わらずメンデルスゾーンの業績・影響力は極めて強く、終生ドイツ音楽界の重鎮として君臨し続けました。

 





 

 

あなたは、フェリックス・メンデルスゾーンの曲が好きですか?

  • 2017.02.03 Friday
  • 07:59


 

 

Twitterで「あなたは、フェリックス・メンデルスゾーンの曲が好きですか?」と質問し、678人が回答してくれました。結果は、とても好き11%、まあ好き24%、好きではない03%、知らない62%でした。

 

 


ヤーコプ・ルートヴィヒ・フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy、1809年2月3日-1847年11月4日)、通称フェリックス・メンデルスゾーンは、ドイツロマン派の作曲家、指揮者です。


哲学者モーゼスを祖父、作曲家ファニーを姉として生まれたメンデルスゾーンは、神童として幼少期から優れた音楽の才能を示したことで知られています。彼はバッハの音楽の復興、ライプツィヒ音楽院の設立など、19世紀の音楽界に極めて大きな影響を与えました。

 





 

 

石川さゆり「津軽海峡・冬景色」で第19回日本レコード大賞歌唱賞

  • 2017.01.30 Monday
  • 07:57


 

 

1977年、石川さゆりは「津軽海峡・冬景色」が大ヒットし、第19回日本レコード大賞歌唱賞などの数々の音楽賞を受賞しました。このほか同年、「能登半島」「暖流」も続けてヒットしています。

 

 


1980年代に入ってからは、石川さゆりは「波止場しぐれ」「天城越え」「夫婦善哉」「滝の白糸」「風の盆恋歌」などと順調にヒット曲を世に送り出し、日本を代表する女性演歌歌手の一人となりました。


2013年11月8日、演歌歌手の先輩・島倉千代子が75歳で他界。11月14日、島倉の葬儀・告別式で石川は後輩歌手の代表として「島倉さんの『さゆりしっかりしろ』という声が聞こえるようです。頑張ります」と弔辞を読みました。

 





 

 

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