20世紀において最も広く流通した画像の一つ

  • 2016.12.25 Sunday
  • 08:16


 

 

スケジュール通りであれば撮影対象でなかった「地球の出」は、1972年に撮影された「ブルー・マーブル」とともにまったく新たな地球のイメージをもたらしました。

 

 


それまで「巨大で」「なかば無限大」であった地球は、ジョン・ダウニングによれば、いまや可憐かつ孤独な惑星であり、人々に保護をもとめる存在となりました。


「地球の出」はエコロジカルな世界観のもとで、さまざまな環境運動の旗印に用いられ、20世紀において最も広く流通した画像の一つになりました。

 




 

「地球の出」写真を郵政公社が切手に採用

  • 2016.12.25 Sunday
  • 08:15


 

 

1988年に出版されたボーマンの自伝には、彼の「地球の出」写真の白黒版がほぼ1ページ大で使われており、「写真史に残る非常に有名な1枚―ビル・アンダースから放たれたカメラを私が受けとめて撮影した」と解説されています。

 

 


ボーマンはこの写真を「郵政公社が切手に採用しており、この写真以上に複製された画像となるとごくわずかしかない」と書いています。しかしフランク・ボーマンの自伝に複写された「地球の出」は、水平方向に反転している上に切り取られて印刷されています。


切手はアンダースの写真通りに雲や色合、地形の模様を再現しています。「原子力工学の修士号」を持っていたアンダースは、「科学者兼乗組員として…実際に月に着陸するアポロ号の船員にとって非常に重要な義務である写真撮影も行う」ことになっていました。

 




 

ハッセルブラッド社のカメラで撮影

  • 2016.12.25 Sunday
  • 08:13


 

 

1968年にアポロ8号は人類初となる有人の月周回飛行を行いました。「地球の出」とはこのミッション中の12月24日に月の周回軌道上からウィリアム・アンダースがハッセルブラッド社のカメラで撮影した写真(NASA image AS8-14-2383)に与えられた名前です。

 

 


直前に船長のフランク・ボーマンが白黒写真でこの光景を収めており、その後にアンダースが70mmのカラーフィルムを見つけました。ボーマンの写真は地球の明暗境界線が月の地平線に接しているという違いはありますが、大陸の位置と雲の模様はカラーの「地球の出」と同じものでした。


同じ場所で何枚もの写真が撮影されました。ミッション中の録音テープから、ボーマンが指示しラヴェルとアンダースが喜んで協力したことがわかります。アンダースが最初の1枚を撮り、ラヴェルが続き、アンダースが異なる露光量でもう2枚の写真を撮影しました。

 




 

あなたは、「地球の出」の写真を見たことがありますか?

  • 2016.12.25 Sunday
  • 08:12


 

 

Twitterで「あなたは、「地球の出」の写真を見たことがありますか?」と質問し、735人が回答してくれました。結果は、ある33%、ない37%、分からない30%でした。

 

 


地球の出(Earthrise)は、アポロ8号ミッション中の1968年に宇宙飛行士ウィリアム・アンダースが撮影した地球の写真のことです。「地球の出」という名が初めて活字になったのは、1968年12月にシカゴ・トリビューンに掲載されたAP通信の写真につけられた解説です。


「地球の出」写真は、ライフ誌で組まれた特集「世界を変えた100枚の写真」で自然写真家のガレン・ローウェルが「史上最も影響力を持った写真」と呼んでいます。アースデイをはじめ様々な環境運動のアイコンとなりました。

 




 

1961年4月12日、ソ連のボストーク1号が世界初の有人宇宙飛行に成功

  • 2016.01.03 Sunday
  • 08:24




アメリカは1958年9月にパイオニア月探査機の打ち上げを開始したものの、十分な成果は得られませんでした。目立った成果としては、パイオニア4号が月から6万kmの距離を通過した程度でした。

1961年4月12日、ボストーク1号が世界初の有人宇宙飛行に成功し、有人宇宙飛行においてもソビエトがアメリカに先んじることになりました。これを受けて1961年5月、アメリカ大統領のケネディが10年以内の有人月着陸で巻き返しを図ることを表明しました。

1966年2月3日にルナ9号が世界初の月軟着陸を成し遂げました。1966年4月3日にルナ10号が世界初の月周回探査機となりました。ルナ11号は月周辺の環境や月の表面を調査し、ルナ12号は軌道上から月面を撮影。ルナ13号は改良型の月着陸機で、月面の撮影や土壌の調査を行いました。



ソ連、アメリカの人工衛星打ち上げによる月探査競争

  • 2016.01.03 Sunday
  • 08:23




1957年から1958年にかけて、ソ連・アメリカとも人工衛星打ち上げによる宇宙開発の第一歩を踏み出しました。両国とも有人宇宙飛行という大きな目標を抱えましたが、有人飛行の開発が本格化する前に、難易度の低い月探査競争が行われました。

ソ連は、1959年1月2日の4回目の打ち上げで初めて月へ向かう軌道に探査機を投入することに成功し、これをルナ1号と名づけました。ルナ1号は月に衝突しなかったものの、地球の重力圏から離れた世界初の人工惑星になりました。

ソ連は、1回の失敗をはさんで1959年9月12日に打ち上げられたルナ2号は世界で初めて月面に到達した人工物となりました。3週間後の10月4日に打ち上げられたルナ3号は、月の裏側を世界で初めて撮影することに成功しました。



メリエス、リュミエール兄弟のシネマトグラフに出会う

  • 2016.01.03 Sunday
  • 08:22




ジョルジュ・メリエスは、23歳のときにロンドンに留学しマジックの虜になり、奇術師を夢見ます。父からの相続金で、ローベル=ウーダン劇場を買い、そこで様々な奇術や幻灯、夢幻劇を見せます。1895年リュミエール兄弟による最初のシネマトグラフの一般公開に参加します。

ジョルジュ・メリエスは、リュミエールにシネマトグラフの機械を売ってほしいと頼みますが断られてしまいます。1896年ロンドンから入手した撮影機を改良し、1分程度の作品を80本制作します。最初のトリック映画「ロベール=ウーダン劇場の婦人の雲隠れ」が有名です。

ジョルジュ・メリエスの「月世界旅行」には、黒白版と着色版があります。現存する唯一の着色版は、1993年にスペインのフィルモティカ・デ・カタルーニャで発見されました。フィルムはバラバラの状態でしたが、デジタル・リストア版で修復され、2011年にカンヌ国際映画祭で上映されました。



あなたは、月に行ってみたいですか?

  • 2016.01.03 Sunday
  • 08:21




Twitterで「あなたは、月に行ってみたいですか?」と質問し、1,977人が回答してくれました。結果は、「とても行ってみたい」37%、「まあ行ってみたい」29%、「あまり行きたくない」16%、「絶対行きたくない」18%でした。

月ロケットといえば、フランスのジョルジュ・メリエスが1902年に公開した「月世界旅行」を連想します。原作はジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」ですが、かなり改変しています。モノクロ・サイレント映画。1秒16フレームで、14分の作品です。

メリエスの「月世界旅行」は、30のシーンで構成し、当時としては珍しい複数のシーンで撮られています。様々なトリック撮影の技法が使われ、物語性もある画期的な作品です。世界初のSF映画でもあります。SFX映画の先駆者です。日本でも1905年8月に明治座で公開されました。

「月世界旅行」では、天文学会でメリエス扮する天文学教授が、5人の学者とともに月への探検旅行を提案します。6人の乗り込んだ砲弾型ロケットは、大砲で発射されて月へ向かいます。ロケットは人面の月の右目に無事に着弾。着陸した6人は月面を探検します。



平和で友好的な地球外生命体なら人類の歴史を観て接触してこないかも

  • 2015.12.05 Saturday
  • 17:32




地球外の知的生命体を想像するとき、私は何度もスタニスワフ・レムの小説「ソラリス」に立ち返ります。その分かり合えないままの接触に震えます。「知的」とか、「高度な」とかいう私たちの基準が、いかに独善的なものであるかを考えます。

私たちは恐ろしく狭い認知機構、思考形態に縛られています。地球外はおろか、地球内においても、すれ違い続けているのかもしれません。

「エイリアンが地球に来た場合、コロンブスの米大陸上陸時のように、先住民族のことをよく知らないために起きた結果(大虐殺)になる」(スティーブン・ホーキング博士)

私たちにとても似た地球外の知的生命体が、遥か彼方から地球にやってきたとすれば、それはスティーブン・ホーキング博士が予想するような事態を招くかもしれません。もし平和で友好的な生命体なら、今の血塗られた人類の歴史が続く限り、接触してこないようにも思います。

ドレイクの方程式で地球外文明の数を具体的に

  • 2015.12.05 Saturday
  • 17:26




1959年、ジュゼッペ・コッコーニとフィリップ・モリソンが、科学雑誌「Nature」で初めて地球外生命体に関する論文を発表しました。地球外生命体との通信は、電波で行われるだろうと推論しました。

1961年、アメリカの天文学者のフランク・ドレイクがドレイクの方程式で、我々の銀河系に存在する通信可能な地球外文明の数を具体的に数値で示しました。

オズマ計画は、1960年に天文学者フランク・ドレイクが、アメリカ国立電波天文台で始めた、地球外知的生命体探査の初めての取り組みです。電波を使って、別の恒星系における生命の痕跡を探すことを目的としていました。

2015年4月、NASAのチーフサイエンティストであるエレン・ストファン氏は「10年以内に地球外生命体の有力な兆候を掴めるはずです。20〜30年以内には確実な証拠が得られるでしょう。宇宙人のことではなく小さな微生物のことです」と話しています。

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